自由エネルギー原理:生命・脳・発達・社会をつなぐ数学理論:乾 敏郎(京都大学 名誉教授・特任教授)
自由エネルギー原理は、2006年にカール・フリストンによって発表されて以降急速に発展し、現在では発達科学や社会科学をも含む大統一理論として分野の垣根を越え広く認められている。自由エネルギー原理で扱われる自由エネルギーとは、熱力学の自由エネルギーではなく、情報論的変分自由エネルギーのことである。
自由エネルギー原理は、生命が熱力学第二法則に抗し、どのようにして生存を維持しているのかという問題から出発する。それは広い意味でのホメオスタシスを維持しているということである。多くのシステムやサブシステムはマルコフブランケット構造をしており、このマルコフブランケットを通じてシャノン・サプライズが最小化されるようなやり取りを、環境と相互に行うことで生存を維持していると考える。また理論的に考察を進めると、これが予測の自己実現であり、自己証明のプロセスであるということが明らかになる。
自由エネルギー原理ではシステムが生成モデルを持っていることを前提として、(身体)外環境や(身体)内環境の状態を推定するために変分自由エネルギーを最小化する。同時に、環境に働きかけて入力を変化させることにより、さらに自由エネルギーを最小化しようとする。前者の働きが知覚であり、後者の働きが運動である。すなわち知覚と運動は同じ目的を持ち、繰り返し働くことによって生存を維持し、新たな環境を作り出すことができるのである。また、運動をするためには感覚入力の精度を減衰させる必要があり、運動と運動の間に知覚処理が行われる。この現象は知覚と眼球運動の関係から明白である。
自由エネルギーの最小化により、隠れ状態(環境の状態や自己が置かれている位置や状態)を推論する。期待自由エネルギーなるものを考えることにより、未来の不確実性を最小化し、適切な行動計画を立てることができる。生成モデルを構成する事前確率に自己の選好が組み込まれているとすると、期待自由エネルギーを最小化することによって、その選好を実現するための行動計画を立てることができる。また期待自由エネルギー最小化によって状態推定を行うことは特急的推論と展望的推論を行うことになる。
本講演では、以上のような内容を解説すると同時に、社会科学や発達科学との関わりについても言及する。
講師
乾 敏郎 先生
京都大学 名誉教授・特任教授
日時
2022年7月13日(水)13:00~17:30(12:40より受付開始)
※乾先生の講義は、14:20~15:30です。
場所
オンライン講義←ハイブリッド開催より変更になりました
お問い合せ先
本アカデミーに関するご質問等は、「各種お問い合わせフォーム」より、お問い合わせください。
講師紹介
乾 敏郎(いぬい としお)先生
現職
- 京都大学 名誉教授・特任教授
- 金沢工業大学 客員教授
- 日本認知科学会フェロー
- 日本神経心理学会名誉会員
- 日本高次脳機能障害学会特別会員
- 日本発達神経科学会 理事
経歴
- 1974年 大阪大学 大学院基礎工学研究科生物工学専攻修了
- 1989~1991年 ATR 視聴覚機構研究所認知機構研究室主幹研究員
- 1991年 京都大学 文学部哲学科心理学教室助教授
- 1995年 京都大学 文学部人文学科心理学教室教授
- 1996年 京都大学 大学院文学研究科心理学研究室教授
- 1998年より 京都大学 大学院情報学研究科教授
- 2000~2004年 NTTリサーチプロフェッサ
- 1999~2004年 日本学術振興会 未来開拓学術研究プロジェクトリーダー
- 2004~2006年 文部科学省21世紀型革新的先端ライフサイエンス技術開発プロジェクト研究代表者
- 2005~2010年 独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 浅田共創知能システムプロジェクト共創知能機構グループリーダー
- 2015年 京都大学特任教授・名誉教授
- 2009~2018年 日本認知心理学会常務理事
- 電子情報通信学会HCGアドバイザリ委員
- 日本高次脳機能学会評議員
研究概要
基盤研究A(代表)「身体イメージを基礎とする社会的認知過程の自由エネルギー原理による統一的理解」(2019~2023年)、挑戦的開拓(代表)「主体的多感覚統合による知覚・認知過程の新しい枠組みの構築」(2019~2022年)などの研究を進めている。
主な業績
- 乾 敏郎 (共著,2022) 自由エネルギー原理. 横澤 一彦(編)『認知科学講座 4巻 心をとらえるフレームワークの展開』. 東京大学出版会, 未定.
- 乾 敏郎 (2022訳) 『能動的推論-心、脳、行動の自由エネルギー原理』 ミネルヴァ書房. Parr, T., Pezzulo, G., and Friston, K. J. (2022) Active Inference: The free energy principle in mind, brain, and behavior. The MIT Press.
- 乾 敏郎 (2022) 自由エネルギー原理:内受容感覚にもとづく意識の神経基盤.生体の科学, 73, 1-5.
- 乾 敏郎・阪口 豊 (共著,2021) 『自由エネルギー原理入門:知覚・行動・コミュニケーションの計算理論』. 岩波書店.
- 乾 敏郎・阪口 豊 (共著,2020) 『脳の大統一理論―自由エネルギー原理とはなにか―』 岩波科学ライブラリー299, 岩波書店.
- Iimura, D, Asakura, N, Sasaoka, T, and Inui, T. (2020) Assessing sensorimotor integration in adults who stutter by a behavioral task using perceptual adaptation of frequency-altered auditory feedback. Acoustical Science and Technology, 41, 780-783. doi:org/10.1250/ast.41.780
- Sasaoka, T., Asakura, N., and Inui, T. (2019) Ease of hand rotation during active exploration of views of a 3-D object modulates view generalization. Experimental brain research, 237,939-951.
- 乾 敏郎 (2019) 自由エネルギー原理―環境との相即不離の主観理論―.認知科学,26, 366-386.
- 乾 敏郎 (2018) 知覚・認知・運動・感情・意思決定をつなぐ自由エネルギー原理. 日本神経回路学会誌, 25, 123-134.
- 乾 敏郎 (単著,2018) 『感情とはそもそも何なのか―現代科学で読み解く感情の仕組みと障害―』 ミネルヴァ書房.
- Takemura, N., Inui, T., and Fukui, T (2018) A Neural network model for development of reaching and pointing based on the interaction of forward and inverse transformations. Developmental Science, doi: 10.1111/desc.12565.
- Inui, T., Kumagaya, S and Myowa-Yamakoshi, M. (2017) Neurodevelopmental hypothesis about the etiology of autism spectrum disorders. Frontiers in Human Neuroscience, 11:354.doi: 10.3389/fnhum.2017.00354
- 乾 敏郎 (共著,2017) 身体的自己と他者理解を可能にする神経機構. 鎌田 東二(編)『心身変容の科学~瞑想の科学』. サンガ, 149-156.
- 乾 敏郎 (共著,2017) 自由エネルギー原理に基づく催眠と瞑想の統一理論. 鎌田 東二(編)『心身変容の科学~瞑想の科学』. サンガ, 166-185.
- 乾 敏郎 (2016) 社会的認知機能を支える神経基盤とその障害. 矢野, 岩田,落合(編)『認知発達研究の理論と方法-私の研究テーマとそのデザイン』金子書房.
- 乾 敏郎(共著,2015) 日本発達心理学会 (編) 『脳の発達科学』 「発達科学ハンドブック」第8巻 発生・発達する神経ネットワークと発達障害の機序, 新曜社, 276-290.